コラム

拝啓 ひでさん

 

 レインボー高知での活動も2年過ぎました。

思い起こせば20年ほど前、トランスコミュニティからLGBTコミュニティへの自助活動へ移り、カフェ玖伊屋での色々な出会いや、どう生きるかという問答を考えることに没頭し、50歳で区切りをつけるという人生設計を描いてきましたが、5年ほど余分に生きております。

 ネクサス高知でもうちょっと深く関わって、高知の状況を変えたかったけれど、残念ながら2014の途中で活動を休止してしまいましたね。

 ひでさんは、ネクサス高知ができたこと、そして今後できることは、やはり何もなくて、話す場所を持ったにすぎません。社会への影響力は皆無に等しく、大きなうねりを作るわけでもありませんでした。それでもネクサス高知という場を必要とする声がある限り、不定期ながらでも、ますます小さくなったとしても、例会を続けていきたいと思います。という活動報告で締めくくっています。

 私は何とかこの後の閉塞感を打開したかった。

だけど次の機会も恵まれなかった。そして3年ほど前から個人活動で打開を試みるも限界があり、当事者のプライド活動をしたくて、ひでさんに活動再開しませんかとお願いしたことを思い出します。

 突破口を模索していると、現レインボー高知のメンバーと出会いました。

高知市にもパートナーシップ宣誓制度をと署名活動していた努力をこのまま無に終わるタイミングでがっかりさせたくない。

 当時までも、高知市や高知市議会は、性的マイノリティの人権問題解決には、積極的ではありませんでした。

 市議会改選というチャンスが来て、積極的にみんなで動き回ったことが議会での請願採択、市長要望に結び付き、ようやく風向きが変わった気がしました。

私たちに一番必要だった成功体験を得ることができたのです。

 

高知市にじいろのまち宣言は、小さな市民運動が起こした奇跡かもしれません。

 

加えて高知も、いつかこうなってほしいと思いを寄せた人々の祈りが通じた結果でしょう。

 市民へSOGIを考えることを浸透させるのはこれからです。

レインボー高知のメンバー、高知市議会の私たちを支持してくれた議員の皆様に感謝し、ひでさんへの報告の手紙とさせていただきます。

 

                         2020 11/24   倖輩 敬具

2020/10/21

 

 手続きや契約のオンライン化が進む昨今、行政手続きも遅ればせながらデジタル化を進めるために、デジタル庁なるものができる。

 確かに忙しい世の中、なんで忙しいのかと個人的に分析しますと、効率化を進められ、一人当たりの業務量を増やした挙句、長時間労働も解消されているとは言い難い。 なんとなくこれが現代社会だ。

効率化を求めながら1日の業務量が減らない・・・ここがミソなのだろう。

 デジタル化を進めるなら、ハンコに代わる新たな認証制度が必要となる。

もちろん、サイバーセキュリティ強化も必須であります。

 そういった時代に、どうしても人でなければならない手続きとは何だろう。

デジタルでは伝わらないニュアンスが深く関わるものや、心を通わせることがないと達成できない事柄はいくらでもある。

 例えば人の温もりや腕を感じない外食産業に感動はあるだろうか。あるいは人が作った以上のものを見るのかもしれないが、エサとか燃料を与えられているように感じる人もいるかもしれない。

 ところで、コロナ禍では人の行動制限などにより、随分と心が置き去りにされていないだろうか。

 何事も機械的な処理で強引に前に進ませようとする圧力を感じるが、お互いの健康状態、表情の変化、動き、家族や友人知人、他人であっても、コミュニケーションには実態を求めるものだろう。

 人は生きる糧に、ふとした人との触れ合いが必要だと感じる。正に生きている実感とは、暮らしにお互い様を感じるのかどうかでないだろうか。

 共感は頑張れるエネルギーにもなるし、そうではない場合もあるけれど、プラスにして明日も頑張ろうとか、頑張れると思うきっかけになることも多い。

 自己犠牲でより良い明日があると思えるなら、それもいいだろうし、自己愛をエネルギーにして日々を楽しくでき、他人に迷惑が掛からないなら、これもありかもしれない。

 コロナ禍を楽しく生きる方法って何だろう。

 私は行動を大切な人の命を守るために制限しているが、いつ爆発するかもしれないし、負の衝動に駆られるかもしれない。

 そう考えることにより、私も人並みなのだと確認しているのかもしれない。

みんなそうではないかと思うことが共感力ですか?

 

体の性や心の性、同性への恋心には、なかなか共感を得られないね。

でも一歩ずつ足跡を刻んできた努力が無駄骨ではなくなる日がいつか来る。

 

 来月、そのきっかけになる日をみんなで祝おう。

 

 

 

ビヨンドコロナ 新型コロナ終焉後の世界は・・・         2020/04/26

 

新型コロナウィルスは日本人の情報リテラシー能力を改めて知る機会となる。

情報リテラシーとは、知り得た情報を個々がどのように精査、管理ができているのかということ。

今年1月、中国から新型コロナウィルスが伝搬してきた。

日本上陸はダイヤモンドプリンセス号由来だと思われていたが、実は航空機移動ルートのほうが

もっと早かったと思われる事象がある。

肺炎にさえならなければ、ただの風邪だったはずの毒性なのですが、慢性病や高齢者にとっては

驚異のウィルスとなっていった。

かく言う私もそういう意味では、新型コロナウィルスとの闘いに勝てるのかわからない喘息持ちだ。

そして社会では何が起こった?

先ずは人の流れを止めなければならないから、旅行業、旅館ホテル業にダメージ。

次はタクシー、公共交通と移動手段が減り、人の密度を下げる目的でライブハウス、カラオケと

飛沫感染予防が進む。

そして飲食業界、事業所へと防疫への要請が拡がっていった。

経済ダメージは旅館ホテル業、交通機関、飲食業、酒販、小売業、一般事業所、ガソリンスタンド、理美容などへと伝わり、経済的影響が無くとも精神面で追い込まれる職種が増えていく。

公的機関は人の生命と生活を保障する最後の砦であるが、最善が何かを問われる事態となる。

新型コロナウィルスは人権問題としても、人の醜態を露わにした。

この事態でも、人の生活や医療を支えてくれる人々が感謝されこそすれ、バッシングされる理不尽さは無い。

恐怖心は正しい情報を受け入れる能力を低下させる。

 

ビヨンドコロナ もう以前の世界は戻らないと言われている。  

どうやって次の世界を構築していくかという動きが、この間にも社会実験され続けている。

それは人がいなくても人の暮らしが便利になる道具の開発。

相手が人だから人は怒りを訴えたり、悲しみが溢れたりしやすいが、相手がAIだといかがだろうか?

DX(デジタル・トランスフォーメイション)は物のインターネットであるIoT(インターネット・オブ・シングス)から始まり、AIの発展で監視カメラの能力向上、それによる販売店の無人化、RPA(ロボティクス・プロセス・オートメーション)による汎用事務の省力化。庶務事務の自動化。

自動運転、ロボットによる接客など、人口が減っても社会が継続される仕組みが実用化されていくことになる。

正に未来技術だった21世紀の科学がもうそこに見えるようになってきた。

 

SDGsの提唱によって人はどう変わるべきか?

 

誰ひとり取り残さないという共生社会の目標は政治にどう活かされるのだろう?

 

アムロレイは言った・・・人はそう簡単に変われるものじゃないと。

 

なら自然環境や、人の意地汚い部分は改善しないのだろうか?

 

アフターコロナは新たなロストジェネレーションを産み、また失われた○年と言われる世界かも知れない。

 

そんなときでも挫けず、新たなイノベーションを起こす若者が増えて欲しい。

 

詐欺師よりも賢者が沢山育って欲しいものだ。

 

私たちは、多様性が当たり前に受け入れられる社会を目指しますよ!

 

パートナーシップの宣誓制度は人の心を結び、社会の融和を一歩進めるものです。

 

今年も、プライドウィーク始まっています。 TRP関連をチェック♪

「LGBTのことそして人権~誰もが生きやすい社会へ~」2019年10月27日
南和行弁護士講演会を聴いて  
●講演の中で、最も印象に残った言葉は「自分は、自尊心をありがたいくらいに満たされている子どもだった」という一言でした。

小さいころから感じていた同性である男子への性的指向。
「仲良くしていた同性の友達に彼女ができて、ある日から一緒に下校できなくなった時に抱いた嫉妬心」
「水泳の授業で、着替えの時に目のやり場に困った」
「席替えの時に、同じグループになりたいと思った友達」
などの小学生時代にありがちな場面を引き合いに出して、その都度ゲイである自分の心を感じていた。しかし、ドラえもんに出てくるのび太君がやがてしずかちゃんと結婚することになっている設定などから、将来は男女で結婚するのが当たり前とした風潮や、「うっふーん、アッハーン」などと「ホモ」「オカマ」を嘲笑するマスコミなどを見ていて、自分は異常ではないかと感じていた。「自分は病気ではないか」、「欠陥商品ではないか」、「社会の真ん中を歩けない人間なんだ」と考えざるを得ないような環境であった。一方で、ドラえもんの登場人物の1人の「出木杉君」のように勉強もスポーツもできて先生からも認められている存在であった。
●一般的に、子どもの頃に自分がセクシュアルマイノリティーであることに気づいても、まだ、その概念を知らず、自分は異常な存在であると思っているうちに自尊心を無くし、やがて自死を考えるようになることもあるとされるが、南弁護士を支えていたのは、上記のような自尊心であったようです。セクシュアルマイノリティーと限らず、どんな悩みを持っていてもすべての子どもたちに必要なのは、自尊心を持てるような教育ということでしょう。

南弁護士もやがてインターネットで他にも同じような人がいるということを知る。
●やはりインターネット社会になってセクシュアルマイノリティは情報を得やすくなったり、完全なカミングアウトではなくて、仲間と情報交換ができるようになったりして、少し生きやすくなったのかもしれません。

そして大学生になって知り合った友達には自分のセクシュアリティを言えるが、地元の小学校の時の友達には言えない。人間関係が深いほど言えない。父親が他界した時に、本当のことを伝えたかったと心残りだった。
●カミングアウトする前から親しかった人ほど、それまでの関係性が崩れることを恐れて言えなくなる。これは、カミングアウトされた側の受け入れる気持ちが、ありのままに受け止めることのできる社会になるように、社会を変えていくしかないのだろうと思います。

大学生の時にカミングアウトして、法学生の吉田氏とも知り合う。二人そろって弁護士となり、同性での結婚式を挙げ、息子からのカミングアウト以降何年もかけてすべてを知っている母親にも弁護士事務所を手伝ったもらう現在の状況において、幸せなロールモデルになって、自尊心を高めることのできる人たちを増やすことになるのだろうと思われる一方で、「弁護士だからできるんだ」と言われないような社会にしていく必要性も感じている。
●これからも様々なロールモデルが存在することがオープンになるように、見える化したセクシュアルマイノリティーの活躍の場を、アライが協力して作り出すことが必要ではないかと思います。

受け入れてくれているはずの母親が、息子の幸せを祝う結婚式の時に、留袖を着られなかったのは、周囲の目を気にしてのことだった。しかし、みんなに祝ってもらっている息子を見てちょっと安心した。幸せなロールモデルがあれば、母親は希望が持てると思って社会にカミングアウトした。
●やはりセクシュアルマイノリティーの家族が幸せなロールモデルを他にもたくさん見ることができれば、家族にもカミングアウトしやすくなるし、カミングアウトされた家族も受け入れやすくなるのだろうと思いました。

弁護士としてトランスジェンダーの原告の裁判を担当しているときに、シスジェンダーが作ったシスジェンダーのための社会だから、「トランスジェンダーは迷惑な存在なのか」「我慢しなければいけないのか」との原告の言葉で、妥協点を探していた南弁護士は自分がシスジェンダーであり、それがゆえに無意識にトランスジェンダーに我慢を強いる一面が自分の中にあることに気づいた。
●セクシュアルマイノリティー同士でも、セクシュアリティが異なれば、お互いに理解し合えていない面があるのだということに、改めて納得させられる話でした。

あるセクシュアルマイノリティーが原告の裁判の時、その裁判官が言った言葉を引用して、こんな素晴らしい裁判官もいると話した。その裁判官は原告に向かって、「自分はセクシュアルマイノリティのことは十分に知らないので、もし間違っていることなどがあれば教えてください。」と言ったと。
●我々も、ストレートアライ、当事者アライに関係なく、自分の知らないことは素直に相手から教えてもらう気持ちであることを素直に表現すれば、お互いに気持ちよく相手を尊重しながら信頼し合える良好な関係が築かれるのではないでしょうか。


 

2019年10月27日

牧村朝子さんの講演

 

文筆家、つまり物書きである牧村さんを一言で表すと、想像を超える探究心の持ち主である。 オーテピアの武器である郷土資料を徹底的に短期間で調べ上げ、地元民でも知らない情報を探し出してくれた。

 

そのテーマとは、結婚の歴史。

 

日本人は古来より一夫一妻制だと思っている人が多いが、史実を検証したらそうではなかった。

 

確かに、江戸時代などの大奥や、昭和初期までの天皇家の宮家などの側室など一夫多妻と思われるし、法律で決められたのは憲法が制定されてからだ。 それらは皆、当時の先進国のまねをしたに過ぎないが、経済成長の鈍化と人口減が進み、核家族化により従来の家制度は破綻しつつあり、結婚の形さえ、お互いの個人の自由によるものが一番多い事由になり、同居して無くとも成立するし、見なし婚という内縁関係でも男女なら結婚制度の恩恵を受けることができる。

 

なぜ同性婚を求めるのか?

 

男女のように恋愛関係から発展し、同じように結婚生活は出来ても、財産権や扶養権、親権などを同等に得ることが出来ず、相続権も無い。

 

最後まで添い遂げても、お互いに生きた証を記憶以外に平等に享受できない。

 

現代の日本人は一体何に縛られ、結婚は男女間のみに固執するのだろう。

 

単に法律でそう決めてあるから、なのだろうか?

 

同性同士の結婚を認めない理由に昔ながらの家制度や風紀の乱れなんて感覚がまだ強く息づいているのだろうか?

 

マイナンバー制度が定着すると、より個人の時代になる。

 

大人に成ったとき、少子化だというのに沢山のサバイバルにより挑まなくてはならない時代が到来しそうだ。

 

親時代の感覚は子の時代には一切通用しなくなるでしょう。

 

個人同士が緩やかに強固に繋がらないと益々生きづらくなる。

 

だからこそ、同性婚にも寛容になりましょうよ。

 

みんなが生きやすい社会になるから。

 

牧村さんもきっと、そう思うと感じている。

 

 

2019年4月30日

 

平成最後の日ということでコラムを1本 

私にとっての平成は、バブル崩壊による経済のマイナス成長、数々の大災害により、経済格差、教育格差は拡がり、マスコミはモンスター化してきた。 

性的マイノリティにとっては、自助活動の広がりにより、トランス・ジェンダーの性別変更の特例法や、AIDSによるホモフォビア(同性愛への嫌悪や拒否感)が蔓延したことでゲイのプライド活動が起き、今の東京レインボープライドに繋がってきた。 

地方の性的マイノリティ当事者にとっては蚊帳の外でありましたが、同性パートナーシップ制度が地方の自治体にも拡がることや、性的マイノリティを正しく理解しようとする動きが徐々に変化を与えてきている。 

マスコミは人々の心を動かす決定的な力を失い、インターネットの発展によって、個人の発信力がびっくりするくらいに人々に感動や動機を与える様に変化してきた。 

今後、SDGsによる2030アジェンダが令和初期の世の中を作っていくこととなる。 

誰一人取り残さないという共通目標が、社会から取り残されてきた人々を表舞台でどう活かそうとしていくのかを、じっくりと見ていきましょう。 

私たちも令和の時代を確実に一歩一歩進んでいく。 

 

 

 

 

2019年1月27日

ロバート・キャンベル氏の講演

 

 

 

 

 

(ちがい)を持つ人々との豊かな出会いについて を聴いて

 

 

違いを認め合う社会になるには寛容と包摂がいるというのは常識の範囲ではありますが、そうはならない社会とのジレンマにちがいを認められた当人は悩んでいる。

 

性的マイノリティも性的マジョリティとの違いを、見た目や性指向により差別や区別されて当然という立場に立たされてきた。

 

キャンベル氏の講演冒頭はロンドンのparkが公園ではないという英語と日本語の意味の違い、公園といえども公共物ではないものがあり、社会を良くしようとする財団が経営する子供のための公園や、その財団経営の苗木屋さんの看板による社会貢献の仕方や日本とは違う社会背景のちがいを考えさせられた。

 

キャンベル氏は疑問に思ったことはその場で確認し、心にきちんと留め置きしているのが如何にも学者らしい。

 

セクシュアリティや性的マイノリティのことは、後半に自身のブログを題材にLGBTの解説から入るが、氏の思いを淡々と述べるにとどまった。彼は確かに活動家ではないし、主義者でも無いが、生まれ持ってしまった境遇には逆らうことも無く、自身のセクシュアリティを受け入れ日本社会に溶け込んできた。

 

しかし、もう少し熱の入った語りを聞けるのかと思いきや、最後まで大学の授業のような進み方で感情の抑揚を出さず、舞台を動き回ることもなく、前後に体を揺らしながら言葉を慎重に選び、静かに語りかける手法は、聴者の心を揺さぶることができたのだろうかという不安もある。 性的マイノリティ当事者にとってはもちろん人生賛歌だったろうし、当事者の生活で起きる困りごとは的確に述べた。

 

そこで、私たちが次に歩むべき行動はどうあるべきだろうかということになる。講演を聞いただけでは聴者にとって遠い話でしかないから、アクションを起こすことはどうしても必要となる。 挨拶回りや対話の切り口、真摯な態度、好感度を高めながらも伊達や酔狂でやっているのではという真剣さを認めてもらわないとならないが、人としてのヴァリエタリーや今の社会問題に多少は博識な部分もないと、この課題に興味を持たない人とは対峙できない。

 

そして、怒りという感情を抑えないといけないことはこれからも多分にあるだろう。

 

ここにいるよと言える世の中へ、人々の目から見えにくい問題の解決のために必要な権利を獲得するための広報活動は、どうあるべきか考える・・・。