コラム

「LGBTのことそして人権~誰もが生きやすい社会へ~」2019年10月27日
南和行弁護士講演会を聴いて  
●講演の中で、最も印象に残った言葉は「自分は、自尊心をありがたいくらいに満たされている子どもだった」という一言でした。

小さいころから感じていた同性である男子への性的指向。
「仲良くしていた同性の友達に彼女ができて、ある日から一緒に下校できなくなった時に抱いた嫉妬心」
「水泳の授業で、着替えの時に目のやり場に困った」
「席替えの時に、同じグループになりたいと思った友達」
などの小学生時代にありがちな場面を引き合いに出して、その都度ゲイである自分の心を感じていた。しかし、ドラえもんに出てくるのび太君がやがてしずかちゃんと結婚することになっている設定などから、将来は男女で結婚するのが当たり前とした風潮や、「うっふーん、アッハーン」などと「ホモ」「オカマ」を嘲笑するマスコミなどを見ていて、自分は異常ではないかと感じていた。「自分は病気ではないか」、「欠陥商品ではないか」、「社会の真ん中を歩けない人間なんだ」と考えざるを得ないような環境であった。一方で、ドラえもんの登場人物の1人の「出木杉君」のように勉強もスポーツもできて先生からも認められている存在であった。
●一般的に、子どもの頃に自分がセクシュアルマイノリティーであることに気づいても、まだ、その概念を知らず、自分は異常な存在であると思っているうちに自尊心を無くし、やがて自死を考えるようになることもあるとされるが、南弁護士を支えていたのは、上記のような自尊心であったようです。セクシュアルマイノリティーと限らず、どんな悩みを持っていてもすべての子どもたちに必要なのは、自尊心を持てるような教育ということでしょう。

南弁護士もやがてインターネットで他にも同じような人がいるということを知る。
●やはりインターネット社会になってセクシュアルマイノリティは情報を得やすくなったり、完全なカミングアウトではなくて、仲間と情報交換ができるようになったりして、少し生きやすくなったのかもしれません。

そして大学生になって知り合った友達には自分のセクシュアリティを言えるが、地元の小学校の時の友達には言えない。人間関係が深いほど言えない。父親が他界した時に、本当のことを伝えたかったと心残りだった。
●カミングアウトする前から親しかった人ほど、それまでの関係性が崩れることを恐れて言えなくなる。これは、カミングアウトされた側の受け入れる気持ちが、ありのままに受け止めることのできる社会になるように、社会を変えていくしかないのだろうと思います。

大学生の時にカミングアウトして、法学生の吉田氏とも知り合う。二人そろって弁護士となり、同性での結婚式を挙げ、息子からのカミングアウト以降何年もかけてすべてを知っている母親にも弁護士事務所を手伝ったもらう現在の状況において、幸せなロールモデルになって、自尊心を高めることのできる人たちを増やすことになるのだろうと思われる一方で、「弁護士だからできるんだ」と言われないような社会にしていく必要性も感じている。
●これからも様々なロールモデルが存在することがオープンになるように、見える化したセクシュアルマイノリティーの活躍の場を、アライが協力して作り出すことが必要ではないかと思います。

受け入れてくれているはずの母親が、息子の幸せを祝う結婚式の時に、留袖を着られなかったのは、周囲の目を気にしてのことだった。しかし、みんなに祝ってもらっている息子を見てちょっと安心した。幸せなロールモデルがあれば、母親は希望が持てると思って社会にカミングアウトした。
●やはりセクシュアルマイノリティーの家族が幸せなロールモデルを他にもたくさん見ることができれば、家族にもカミングアウトしやすくなるし、カミングアウトされた家族も受け入れやすくなるのだろうと思いました。

弁護士としてトランスジェンダーの原告の裁判を担当しているときに、シスジェンダーが作ったシスジェンダーのための社会だから、「トランスジェンダーは迷惑な存在なのか」「我慢しなければいけないのか」との原告の言葉で、妥協点を探していた南弁護士は自分がシスジェンダーであり、それがゆえに無意識にトランスジェンダーに我慢を強いる一面が自分の中にあることに気づいた。
●セクシュアルマイノリティー同士でも、セクシュアリティが異なれば、お互いに理解し合えていない面があるのだということに、改めて納得させられる話でした。

あるセクシュアルマイノリティーが原告の裁判の時、その裁判官が言った言葉を引用して、こんな素晴らしい裁判官もいると話した。その裁判官は原告に向かって、「自分はセクシュアルマイノリティのことは十分に知らないので、もし間違っていることなどがあれば教えてください。」と言ったと。
●我々も、ストレートアライ、当事者アライに関係なく、自分の知らないことは素直に相手から教えてもらう気持ちであることを素直に表現すれば、お互いに気持ちよく相手を尊重しながら信頼し合える良好な関係が築かれるのではないでしょうか。


 

2019年10月27日

牧村朝子さんの講演

 

文筆家、つまり物書きである牧村さんを一言で表すと、想像を超える探究心の持ち主である。 オーテピアの武器である郷土資料を徹底的に短期間で調べ上げ、地元民でも知らない情報を探し出してくれた。

 

そのテーマとは、結婚の歴史。

 

日本人は古来より一夫一妻制だと思っている人が多いが、史実を検証したらそうではなかった。

 

確かに、江戸時代などの大奥や、昭和初期までの天皇家の宮家などの側室など一夫多妻と思われるし、法律で決められたのは憲法が制定されてからだ。 それらは皆、当時の先進国のまねをしたに過ぎないが、経済成長の鈍化と人口減が進み、核家族化により従来の家制度は破綻しつつあり、結婚の形さえ、お互いの個人の自由によるものが一番多い事由になり、同居して無くとも成立するし、見なし婚という内縁関係でも男女なら結婚制度の恩恵を受けることができる。

 

なぜ同性婚を求めるのか?

 

男女のように恋愛関係から発展し、同じように結婚生活は出来ても、財産権や扶養権、親権などを同等に得ることが出来ず、相続権も無い。

 

最後まで添い遂げても、お互いに生きた証を記憶以外に平等に享受できない。

 

現代の日本人は一体何に縛られ、結婚は男女間のみに固執するのだろう。

 

単に法律でそう決めてあるから、なのだろうか?

 

同性同士の結婚を認めない理由に昔ながらの家制度や風紀の乱れなんて感覚がまだ強く息づいているのだろうか?

 

マイナンバー制度が定着すると、より個人の時代になる。

 

大人に成ったとき、少子化だというのに沢山のサバイバルにより挑まなくてはならない時代が到来しそうだ。

 

親時代の感覚は子の時代には一切通用しなくなるでしょう。

 

個人同士が緩やかに強固に繋がらないと益々生きづらくなる。

 

だからこそ、同性婚にも寛容になりましょうよ。

 

みんなが生きやすい社会になるから。

 

牧村さんもきっと、そう思うと感じている。

 

 

2019年4月30日

 

平成最後の日ということでコラムを1本 

私にとっての平成は、バブル崩壊による経済のマイナス成長、数々の大災害により、経済格差、教育格差は拡がり、マスコミはモンスター化してきた。 

性的マイノリティにとっては、自助活動の広がりにより、トランス・ジェンダーの性別変更の特例法や、AIDSによるホモフォビア(同性愛への嫌悪や拒否感)が蔓延したことでゲイのプライド活動が起き、今の東京レインボープライドに繋がってきた。 

地方の性的マイノリティ当事者にとっては蚊帳の外でありましたが、同性パートナーシップ制度が地方の自治体にも拡がることや、性的マイノリティを正しく理解しようとする動きが徐々に変化を与えてきている。 

マスコミは人々の心を動かす決定的な力を失い、インターネットの発展によって、個人の発信力がびっくりするくらいに人々に感動や動機を与える様に変化してきた。 

今後、SDGsによる2030アジェンダが令和初期の世の中を作っていくこととなる。 

誰一人取り残さないという共通目標が、社会から取り残されてきた人々を表舞台でどう活かそうとしていくのかを、じっくりと見ていきましょう。 

私たちも令和の時代を確実に一歩一歩進んでいく。 

 

 

 

 

2019年1月27日

ロバート・キャンベル氏の講演

 

 

 

 

 

(ちがい)を持つ人々との豊かな出会いについて を聴いて

 

 

違いを認め合う社会になるには寛容と包摂がいるというのは常識の範囲ではありますが、そうはならない社会とのジレンマにちがいを認められた当人は悩んでいる。

 

性的マイノリティも性的マジョリティとの違いを、見た目や性指向により差別や区別されて当然という立場に立たされてきた。

 

キャンベル氏の講演冒頭はロンドンのparkが公園ではないという英語と日本語の意味の違い、公園といえども公共物ではないものがあり、社会を良くしようとする財団が経営する子供のための公園や、その財団経営の苗木屋さんの看板による社会貢献の仕方や日本とは違う社会背景のちがいを考えさせられた。

 

キャンベル氏は疑問に思ったことはその場で確認し、心にきちんと留め置きしているのが如何にも学者らしい。

 

セクシュアリティや性的マイノリティのことは、後半に自身のブログを題材にLGBTの解説から入るが、氏の思いを淡々と述べるにとどまった。彼は確かに活動家ではないし、主義者でも無いが、生まれ持ってしまった境遇には逆らうことも無く、自身のセクシュアリティを受け入れ日本社会に溶け込んできた。

 

しかし、もう少し熱の入った語りを聞けるのかと思いきや、最後まで大学の授業のような進み方で感情の抑揚を出さず、舞台を動き回ることもなく、前後に体を揺らしながら言葉を慎重に選び、静かに語りかける手法は、聴者の心を揺さぶることができたのだろうかという不安もある。 性的マイノリティ当事者にとってはもちろん人生賛歌だったろうし、当事者の生活で起きる困りごとは的確に述べた。

 

そこで、私たちが次に歩むべき行動はどうあるべきだろうかということになる。講演を聞いただけでは聴者にとって遠い話でしかないから、アクションを起こすことはどうしても必要となる。 挨拶回りや対話の切り口、真摯な態度、好感度を高めながらも伊達や酔狂でやっているのではという真剣さを認めてもらわないとならないが、人としてのヴァリエタリーや今の社会問題に多少は博識な部分もないと、この課題に興味を持たない人とは対峙できない。

 

そして、怒りという感情を抑えないといけないことはこれからも多分にあるだろう。

 

ここにいるよと言える世の中へ、人々の目から見えにくい問題の解決のために必要な権利を獲得するための広報活動は、どうあるべきか考える・・・。